とてつもなく豪華絢爛の万年筆が存在します。 去年の秋に発表されたこのCaran d'Ache1010は、スイス時計をモチーフにダイヤモンドや純金などの素材で贅を尽くして手作りされた逸品。
シースルーのボディに時計の歯車が埋め込まれたその姿は、美しいだけではなくシュールな妖しさを醸し出しています。 あのシュールレアリストのダリが生きていたら絶賛するでしょう。 私はガウディのサグラダ・ファミリアの塔を連想してしまいました。
この純金のものは世界で10本限定モデルで、ナント2100万円だそうです。 カランダッシュといえば、色鉛筆などの画材で馴染みがあるメーカーですが、まさかこんなアートとでも呼べそうな工芸品の極致のような製品を作り出すメーカーだとは思いませんでした。 それにしても、これを手に入れた富豪の方は、本当に筆記用具として使うんでしょうか?
万年筆は、英語では"Fountain pen"で、これは即物的で機能的な名称です。 それに比べて、日本語の『万年筆』は、その字のごとく、長い年月の渡って書くことができる筆記用具という、愛着を持って年月を共に過ごす特別な存在というニュアンスを持っています。 そこには、日本人の、書く行為や文字に対する文化的な思い入れを感じることができて、私はこの名称が持つ響きがとても好きです。
人間は文字や絵画によって思想や文化を伝えてきました。 そして、手書きの文字には、その人の性格や感情が宿っています。 それが見事に『書』に昇華されました。 そうして、時を越える記憶を伝えてきたのです。
また、書く行為の中で、万年筆は特別に微妙な感覚を書く人にフィードバックする筆記用具でもあります。 純金のペン先のしなやかさやインクのにじみ具合、ペン軸の材質による触感、重量バランスにより握り心地が右脳を刺激し、左脳による表現を支えています。 いわば、アナログの世界でのインターフェイスとしても高い性能が求められてきたのです。 よく、小説家が自分の愛用する万年筆や原稿用紙でないと小説が書けないと言ったりしますが、そういう微妙な感性の領域に深く根ざした道具でもあるのです。
さらに、そうした機能的なクォリティだけでなく、万年筆には見た目の美しさも要求されます。 それが、創作や思考のパートナーとして、持つ人に特別な愛着と満足感を与えているのです。
そう言えば、私も中学生になって初めて持った万年筆と腕時計にステータスを感じて、大人の仲間入りをしたようで、うれしくて仕方がなかったことを思い出します。
それから、幾本かの万年筆を使いましたが、結局落ち着いたのが、パイロットの、この1本。
これは、ペン先が細字から太字まで無段階に調節できる機能がついていて、とても書き味も良いので、もう何十年も使い続けています。 デザインもモンブラン マイスターシュテュックによく似ていて、いかにもオーソドックスな万年筆って雰囲気。 でも、実際に使うのは毎年の年賀状書きの時だけなんですが。
普段には、もっとカジュアルな雰囲気のラミー サファリのブラックモデルを使っています。
まるでエボナイト棒のような、いかにもドイツ的な媚びない実直なデザインが好きで愛用しています。 書き味もそこそこで、ボディには握りやすいくぼみがあったり、インク残量が見える小窓があったりして様々な工夫が凝らされている優れもの。 もともと学生用の練習筆記用具として開発されたらしいですね。 最近は、よく雑誌などでも紹介されて、すっかり定番になり、カラーバリエーションも豊富になりましたが、私はやっぱり、このマット処理された渋いブラックモデルが一番のお気に入り。 でも、なぜサファリって名前なんでしょうね?
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